パリでしたいこと。
大人になってからパリに2年間の留学をしていたラボのFUMINA。
偶然にも日本でパリっ子のフランソワと出会う。
今、パリに帰ったらしたいこと、書いてみる。
パリの街並みは、ムッシュ ジョルジュ・オスマン(県知事期間:1853年-1870年)によって、パリ改造(Haussmannisation)が19世紀に行われた。建物の高さに基準が設けられ、シンメトリーな外観は見た目にも美しく、交通網が効率的になり、衛生環境がグッと上がって、彼のおかげで今の大都市、パリがある。
大都市と行っても、パリ(1区-20区)はとても小さい。端から端まで、歩くことだってできる。
滞在中は、バスに乗って景色を眺めながら移動するか、徒歩という手段をとっていた。メトロは早く帰りたいとか、用事がある場合のみ。
眺めを楽しみたい時は、95番によく乗った。モンマルトルからモンパルナスまで、観光名所(オペラ、ルーブルなど)をバスが回ってくれる。
景色が良いというのは、本当に贅沢なこと。
景色を眺めるというのは、自分と向き合う時間が増える、ということにもなると、私は思う。
夫のフランソワも、ホストマダムのロズリーンも、これに関して同意見で、パリに帰ると、ほぼバス移動かUberになる。ロズリーンは、私がパリ滞在当初、バスに乗りなさい、と私に洗脳?してくれた。
オスマンさんのパリ改造で、住みやすくなったパリ。1800年後半ぐらいからだから、その時代からある老舗のカフェや、石畳。
もしかしたらここに、ピカソが座っていたかもしれない、ダリがここを歩いたかもしれない、イブサンローラン、ムッシュ・ディオール、数々の才能あるれる人々がいたと思うと、それだけでかなりワクワクする。
また、あちこちに映画のロケ地があり、歩いていると、すぐに見つかるからそれも楽しい。
この映画では、脚本家を目指す主人公が、夜中になると、1920年代のパリにタイムスリップして、自分の書いた作品を見てもらったり、ちょっと恋をしたりする。
私の妄想そのものの映画。
今も、当時と同じように、パリには、想像を遥かに超える、才能あふれる人々が集まっている。
パリのテラスでお茶をすれば、有名な俳優さんや、著名人がその辺を普通に歩いているのが景色の一部に。フランソワといっしょにいれば、すぐに分かるけど、私なんかは全然気づかないから、ひとりで滞在中、どんだけ損したことだろう?
日本でパリは、花の都、食の都、など、定番のワードがあるけれど、思想からファッションまで、すべてにおいて、パリは最先端だと私は思う。
ステキの始まりは、いつもパリから。
パリに帰ったらしたいこと。
FUMINA